あれから
10年
私たちは
元気です
ABOUT US
私たちは南三陸町にある縫製工場です。
みなさまのご支援でここまで復興できました。
つくるという意味の宮城の方言「こせる」からとった、
みらいさんりくコシェルプロジェクト。
南三陸町の私たちの工場から、
ものづくりを通して日本中、世界中とつながり、
未来に、次の世代に幸せと笑顔をつなぎます。
あの時お世話になったみなさまに、
感謝の気持ちと共に、南三陸の「こさえたモノ」を発信します。
モノづくり の ものがたり
Coshell story
エムズファクトリー 後藤常務
ー Project leader ー
コシェルプロジェクトのリーダーで
縫製工場「エムズファクトリー」の常務。
相棒のミシンを操って、どんなものでも修復できる
ゴットハンドの持ち主。
みんなから愛される癒し系のオジサマ
きっかけ
工場で裁断を担当している一人の女性社員から、
「震災から10年がたったから、何かをしたい」と、相談された。
南三陸の人間はまじめで堅物が多く、恥ずかしがり屋なので、
積極的に何かをやりたいという事は珍しく、驚いた。
何をどのようにするのか、手さぐりだが、
本社のある横浜のメンバーにも加わってもらって、プロジェクトをスタートさせた。
生の声
「ありがとう」という、感謝の気持ちを伝えたい。
実際、南三陸で働くみんなはどんな事を考えているのか?
そのことについて深く話し合う機会はあまり無いので、
工場のメンバーにアンケートをとった。
そこには、ポジティブなものもあれば、
とてもリアルな、人口減少への不安の声が多くあった。
それでもみんな、
「感謝している」という気持ちは、たくさんあった。
何をするべきなのか と 何ができるのか
「例えば、花火をあげて、感謝の気持ちをつたえたい」
311当日、南三陸町はとても静かになる。
誰もがあの日を想って、追悼する。
南三陸町の人間にとって、日本にとっても、この日は特別な日だ。
あの日から10年がたち、たくさんの人たちに支援されて、
目に見える形で街は復興してきた。
それでも、全く元通りには戻らない。
だったら、新しいものを作り出せばいいのではないか?
出て行ってしまった人たちや、新しい人たちに南三陸に来てもらうために、
安定した魅力的な仕事と、南三陸の魅力的な大自然があれば、
ここで暮らしたいと思ってもらえるのではないか?
私たちがやりたいことはふたつ。
①感謝の気持ちを伝えること。
②魅力的な仕事を作ること。
何ができるだろう?
繋がり
自分たちの得意分野は、もちろんミシンを使った縫製。
そして、レストラン事業も展開しているので、
食材を使って南三陸をアピールすることも出来る。
これを軸に何かを作って、売り出したい。
そうすれば、そこに雇用が生まれる。
やりたいことは単純なはずだが、
実際にモノをつくり出すことはなかなか難しい。
いつもは本社からデザインされた仕様書がきて、それを縫う。
今回は何を縫うか?どうしたら南三陸町をPRできるのか?
横浜のメンバーは、コロナ禍でこちらに足を運べない。
こちらのメンバーもアイディアは出るけれど、
どう進めるのか、なかなかまとまらない。
時間と距離がなかなか埋まらない。
そこへ、頼もしい助っ人が参加してくれる。
現地でボランティア活動や、
まちおこしの支援活動を行っている方に加わってもらった。
南三陸町の事業家や、モノづくりにたずさわるひとびとや、
漁協も、農家も、神社も、役場も、商店街も、どんどん繋がっていく。
たくさんの人との繋がりを感じる。
ここからの10年
2021年3月11日
震災からの10年。
たくさんのみなさんの支援で元気南三陸町は
元気を取り戻しました。
私たちは、ここから新たなスタートをします。
2031年に向けて、これからの10年。
力強く、若者が集う、笑顔に溢れるまちを目指して。